冨賀寺庭園(ふかじていえん)
種別庭園の様子 新城市指定名勝(庭園)
指定年月日 昭和61年6月6日
所在地 新城市中宇利字高田
説明
本庭園は客殿西側に位置し、池を中心に構成され、南北に長く造られた池の南側に中島を設けている。
自然傾斜地を利用した滝石組が設けられ、2箇所の滝石組は本庭園の主景となっている。池の護岸には巧みに石を組み、木杭による曲線美などは、石組と併せて造形美が高い。さらに池には石橋を架け、北側築山下には飛石を配しているが回遊性は低く、客殿からの眺望に主眼をおいた作風と考えられる。
江戸時代の典型的な作庭様式を表わすものとして価値が認められ、市内外に誇る優れた池泉式庭園である。
本庭園の見どころ
本庭園の北方から西方にかけて大小12個の築山が築かれており、庭の面積に対して多くの築山があることがこの庭の特徴である。見どころは池泉護岸の木杭で表現された曲線美である。庭園の観賞は客殿から望むことを意識した造りとなっており、回遊性は低い。
本庭園には2つの滝があり、北部築山の石組と客殿に面した石組の滝である。前者は落水の滝であり、後者は枯滝となっている。
北部築山の滝石組は、本庭の主景となっており落水滝である。本堂を背後に配しその中に安置された不動明王を意識した『不動の滝』として造られた可能性が高いことが日本庭園研究会によって評価されている。さらに配石の様子から中国の故事にちなんだ鯉が滝を登って龍となる『龍門瀑』も意識していた可能性も併せて指摘している。
客殿に面した滝石組は、客殿からの眺望を強く意識した位置にあり、客殿からの主景となっている。この石組は3つの石材で構成され、3段落ちの構成を呈している。水墨画的で石組の力関係を表現する配置法、遠近感など非常にバランスよく配置され、秀逸の造形美と評価されている。この滝石組と前述の石組は対象的な対の作で『陰陽、雌雄』の関係を意味しているともされている。
作庭年代や改修について
本庭園の作庭家及び築造年代は明らかでないが、庭が客殿に西接し客殿が元禄5年(1692)に再建されていることから、元禄5年頃またはそれ以前の作庭時期が推測される。しかし、日本庭園研究会では、客殿の再建、滝石組が持つ芸術性が高い造形を始めとした石組の造形美や池泉の曲線美から、江戸初期まで遡る評価を行っている。
平成21年度の修理によって、客殿から庭を望む一帯を中心に庭園の改造が行われていたことを確認している。本庭園では使用される石材にはチャートと赤さび色で雨生山で取れる地元産出の石材の2種類に大きく分けることができる。雨生山の石材は、池泉内に設けられた亀島、岩島や客殿前の池泉護岸に集中して認められている。
亀島の作風は、『江戸初期に見られる力強い表現が失われ、写実性が高く』、岩島は『立石ではなく横石の作』であることから、作庭当初のものではなく後世の改修(あるいは追加)によるものであろうと日本庭園研究会によって評価されている。さらに客殿前の護岸の石組は、通常の護岸石組として用いない技法で構築されていたことから、改修時の技術であるとしている。庭の改修を裏付ける史料として、寛政11年(1799)の夏に「築山、池等が出来る」といった内容の記録が寺には残されていることから、庭園はこの頃に改修されたことが考えられる。
なお、池の南西隅で排水用に用いられた木樋(長さ:186㎝、幅19㎝、一木作り)が発見されている。